まどかの魔法少女化への決意は、第11話冒頭のキュゥべえによるまどかへの事態の説明が間接的にせよ大きな動機になっている。キュゥべえの結果的失策。提唱する全人類への貢献の例に、自らを犠牲にしてきた歴史上の偉大なる女性たちを持ち出したため、たいへん説得力がありまどかを刺激した。キュゥべえは、まどかがなかなか決意せず理解されないことに業を煮やし、これまで以上にしゃべりすぎ根本をひっくり返され失策したんだよ。まどかは嘔吐を催すまでのショックを受け、それが逆作用して魔法少女化への決意につながった。後半もう一度説明があり決定的に。
ほむらが時間を繰り返すことによってまどかの因果が増大する。ここが一番サプライズを感じた。解決策の破綻。ほむらにとっては、繰り返すことでまどかがほむらから気持ちが退いていくということはなにより耐えられないことであり、これまで自分がやってきたことが全否定され、絶望する。
エントロピーは増大する一方になり、ここまで事態が大きくなりすぎると、もうリセットボタンしかない。世界のリセットボタンを押すのは神しかいない。よってまどかは神になった。
まどか、ほむら、マミ、さやか、杏子、彼女たち魔法少女は救われたのか。この作品は救われる救われないという次元を描写しなかった。単純には救われなかったといえるが、まどかが神になったことで救われているという神秘主義に到達している。
多くの人々の記憶の消失(マミ、杏子を含む!)は底知れぬ虚無をもたらしたが、弟タツヤの潜在意識にはまどかの存在の記憶は残された。唯一ほむらにはリボンという物的記憶を託し、確固たる記憶を保持させた。ほむらだけは特別なのだから。この愛らしい結果は、魔法少女ものである証。
虚淵玄の脚本は、思わせぶりな謎を残さずほとんどすべてをさらけ出して説明し、某有名作品のような衒学という欺瞞がなく素晴らしかった。欲をいえば、もうちょっと視聴者に想像(妄想)させる余地を残して欲しかった気もするが、何度も見返せばまだ発掘されるものは出てくるかもしれない。



